つくし文具店

店主雑記

第9回 実家あってのつくし文具店

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約10年前に、おふくろがやっていたつくし文具店のあとを継いだことで、
実家に頻繁に帰ることになり、実家の状況を把握することができるようになりました。
都心に通って、正月しか帰ってこない時とは、実家との関わり方が違ってきます。
実家とのほどよい距離が保てるようになりました。

昨年2014年10月25日に、姉が亡くなり、12月14日に、父が亡くなりました。
ふたりとも、入退院を繰り返しながら、つくし文具店の母屋に住んでいました。
幸いにも、80歳過ぎたおふくろは元気で、隣には弟家族も住んでいるので、
なんとか葬式をすませ、近くのお寺に埋葬することができました。

いっしょに住んでいたことのある自分の家族が亡くなるのは、はじめてであり、
まだまだ、気持ちの整理がついているわけではありませんが、
予想以上に冷静な自分がいて、少し驚いています。

おふくろからは、つくし文具店に用事でくるたびに、
父の容態や、姉の様子、病院や看護のことなどをなんとなく聞いていました。
ここ2年ぐらいは、おふくろは、趣味やボランティアが自由にならない状態で、
父の看病中心の家から離れられないような状況でした。

未婚で子どもいなかった姉は、2年前に乳がんの手術をして、
1年ぐらい前から、実家でいっしょに暮らすようになっていました。
昨年の夏近くになって、肺や脳に転移していることがわかり治療を続けましたが、
若かったせいで癌も強かったのか、あっけない幕切れとなってしまいました。

自分の子どもと、長年つれそってきた伴侶を続けて亡くすことになったおふくろは、
とても落胆して寂しいはずですが、葬式のことや相続の手続きなどで、
まだまだ、気が抜けない状態でもあり、根が強い人なのか、
それほど落ち込んだ様子がないことが、息子としてはせめてもの救いです。

姉が亡くなり、父が亡くなったことで、
つくし文具店がすぐにどうこうなることではありませんが、
ぼくが生まれてすぐに、この家に引っ越してきて、
53年の時を経た実家が、大きく変わる節目になったことは確実です。

家族がいて、家があり、そこに店があったこと
国分寺の住宅街という地域で、家と一体化した店であったこと
実家あってのつくし文具店だということをあらためて考える機会となりました。

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